Decision-less Agility
A Failure Pattern of Decision Avoidance, Context Erosion, and Measurement Gap
Summary
Decision-less Agility は、Agile 開発において 「決めないこと」が柔軟性として合理化され、 意思決定の空白が構造的に固定化される Failure Pattern である。
本 Pattern は、決定回避、測定不在、コンテクスト不足といった力学が重なった結果、 ソフトウェアと組織の両方で判断可能性が失われていく過程を記述する。 ここで扱うのは特定の手法やツールの誤りではなく、 善意の選択が再発的な失敗構造へ収束していく仕組みである。
Context
この Pattern は、Agile 開発が選択肢として成熟し、同時にソフトウェアの寿命が長期化した環境で現れる。 不確実性が高く、すべての要件や仕様を事前に確定できない状況では Agile が選択されるが、 「将来を決めない」ことと「今、最低限決めるべきこと」が区別されないまま進行する場合がある。 受託開発やラボ型受託開発のように複数のステークホルダーが存在する環境では、 意思決定の責務が分散し、その場で決められない事項が構造的に積み残されやすい。 近年では、AI による開発支援が一般化し、 曖昧な前提や未決定事項を補完したまま作業を進められることが、 この力学をさらに加速させている。
こうした状況のまま開発が継続されると、決定されていない前提を補う形で実装が進み、仕様の「正」は徐々にコードの中へ埋め込まれていく。 長期間運用されているソフトウェアでは、PO の交代やチームの入れ替わりが起こり、断片的なドキュメントと現在のコードだけが残る。 その結果、「なぜそうなっているのか」「どこまでが変更可能なのか」を誰も明確に説明できない状態が常態化する。
このようなコンテクスト不足の環境において、AI による開発支援が部分的に導入される。 AI は与えられた情報から合理的に補完を行うが、前提や制約が明示されていない場合、人間と同様に暗黙の仮定に基づいて判断を行う。 そのため、意思決定が曖昧なままの Agile 開発と組み合わさることで、この Pattern は顕在化しやすくなる。
Forces
この Pattern を生み出す主な力学は以下である。
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不確実性が高く、将来を決められない
将来の仕様や振る舞いを確定できず、「後で調整する」選択が合理化されやすい。 -
決定責任を持つことのリスク
判断は将来の変更や失敗の説明責任を伴い、複数ステークホルダー環境では先送りされやすい。 -
早く動きたいという圧力
合意形成よりも「進行している事実」が安全性として評価され、未決定のまま実装が進みやすい。 -
ドキュメントを書くコスト
認識合わせと更新のコストが短期成果に現れにくく、判断の明文化より実装先行が合理化されやすい。 -
AI が「それっぽい答え」を即座に出してくれる誘惑
前提や制約が曖昧でも作業が進むため、未決定事項が顕在化しにくくなる。 -
測定がなく、判断材料が欠落する
影響の比較ができず、保留が暗黙の最適解として反復され、意思決定の空白が蓄積する。
Failure Mode
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仕様の「正」がコード断片へ拡散する
未確定の前提を抱えたまま実装が進むため、判断は関数や設定値の形で局所的に埋め込まれる。 意図や境界が一箇所にまとまらず、振る舞いの根拠がコード散在により再構成できなくなる。 -
決定の空白が累積し、暗黙の前提として固定化される
暫定のまま使われ続けた振る舞いが暗黙の標準となり、誰も変更可能範囲を明示できない。 変更は「壊すかもしれない」という不確実性を伴い、結果として保留が再生産される。 -
AI の補完が仮定を強化し、矛盾が潜在化する
前提が明示されないままでも作業が進むため、ローカルな仮定がそのまま実装へ確定される。 異なる仮定が同居しても短期的には動作するため、整合性の欠落が検出されにくい。 -
計測がないためフィードバック経路が断線する
影響の大きさや効果が観測できず、改善や是正の判断が成立しない。 議論は意見対立へ傾き、意思決定は先送りされる習慣として固定化する。 -
ドキュメントは追認化し、Source of Truth が不在になる
記述は後追いで部分的に更新され、最新の根拠がどこにあるか示せない。 新規参入者はコードの逆算に頼り、変更のコストとリスクが増大する。 -
境界が不安定化し、モジュール間の依存が予測不能になる
未定義の仕様がインターフェースに滲み出て、呼び出し側・提供側が相互に局所最適へ偏る。 全体としての一貫性が保たれにくくなり、変更の影響範囲が拡大しやすくなる。
Consequences(定着する影響)
- メンテナンスコストが累積的に増大する
(Part I: What Breaks — 責務が壊れる / 境界が壊れる) - 「誰も全体を理解していない」状態が固定化される
(Part I: What Breaks — 責務が壊れる / 境界が壊れる) - AI サポートが限定的にしか活用できなくなる
前提や制約を自ら補完できる一部の人材に依存し、 組織全体としての判断支援には機能しなくなる。
(Part II: Why It Breaks — コンテクスト不足) - Agile が信頼を失う
「柔軟であるはず」という期待と実態の乖離が説明できず、 プロセス自体が疑問視されるようになる。
(Part II: Why It Breaks — 決定回避) - 組織学習が停止する
計測不在により学習ループが成立せず、 改善が再現可能な知識へ変換されない。
(Part II: Why It Breaks — 学習ループの欠落)
Countermeasures(向きを変える最小介入)
以下は解決策の一覧ではなく、 Failure Mode に対して最小限の介入で力学を変えるための対抗パターンである。
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最小決定ゲートを設ける
不変・暫定・未決定を区別し、保留が滞留して「暗黙仕様」になることを防ぐ。 -
単一の観測指標を導入する
精度より比較可能性を優先し、判断が意見ではなく差分に接続される状態を作る。 -
境界(契約)を短期間固定し、内部の自由度を確保する
外部影響を局所化し、反復を「安全に進められる」前提を維持する。 -
Source of Truth を一点化する
完全性ではなく参照先の一貫性を守り、仕様の現在地が迷子になることを防ぐ。 -
判断の意図を最小ラベルで残す
不変/暫定/期限を近接箇所に残し、後から検証可能な判断履歴を作る。 -
AI 利用時の前提テンプレートを固定する
前提・制約・不可変更を先に提示し、生成物は境界と指標で採否する。 -
保留事項のクリアリングを定常化する
「決める/捨てる/次へ送る」を選び、先送りを安定状態にしない。
Resulting Context(新しい当たり前)
不確実性は残り続けるが、 判断の前提が可視化され、保留が滞留しにくくなる。
単一の指標により効果が比較可能となり、 変更は意見ではなく差分として議論される。
境界と参照先が安定することで、 変更は「壊すかもしれない推測」ではなく、 検証可能な判断として扱われる。
AI 生成物も同様に、 前提・境界・指標に照らして採否できるようになる。
これらは不確実性を排除するのではなく、判断を引き受けられる形に整える。
See also
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Responsibility Diffusion
決定を避ける力学が、決める主体そのものを曖昧にしていく派生構造。 -
Specification-by-Absence
決めないまま進めた結果、未定義が事実上の仕様として固定化される派生パターン。
Appendix: Conceptual References
- Responsibility & Decision
判断責務と決定権限が構造として曖昧化する力学の背景。 - Pattern Language
Forces が構造へ収束するという記述形式の基盤。 - Feedback, Measurement & Learning
計測不在による学習ループ断線の理論的背景。 - Information Hiding & Boundaries
未決定事項がコードや境界へ漏出する失敗構造の背景。
Appendix: References
- James O. Coplien, Organizational Patterns of Agile Software Development, 2004.
- W. Edwards Deming, Out of the Crisis, 1982.
- Stafford Beer, Cybernetics and Management, 1959.
- David L. Parnas, On the Criteria To Be Used in Decomposing Systems into Modules, 1972.